追悼 天王寺屋さん(中村富十郎丈)

 正月早々びっくりなニュースが飛び込んできました。天王寺屋さんの訃報。最
後の舞台は十一月の『逆櫓』だったそうで、えっ!あれが最後になっちゃった!
と朝刊を読みながら声が詰まってしまいました。時期も時期だし宗十郎の最期を
思い出します。宗十郎もたしか一月に亡くなられて、私は最後の十二月の舞台を
観ていたので本当にびっくりしたし辛かったのです。

 これで最後の舞台を観る、っていうのが三回目になってしまいました。もうお
一方は松也のお父上、松助。もう嫌だな。こういう悲しい思いはしたくないな。
歌舞伎座の三階ロビー西側には物故俳優のコーナーがあって、あそこに自分が
実際に観た役者さんの写真が連なるのは辛いです。

 富十郎で思い出すのは、十年くらい前の三番叟だったか、何だったかそれ系の
踊りです。菊之助松緑が太郎冠者二郎冠者で脇に控えていて、その時松緑がも
のすごい真剣な目で富十郎を見つめていたのが印象的でした。当時私は踊りの善
し悪しなんて解らない歌舞伎ひよっこでしたけど、あんなに真剣に何かを得よう
と若手役者が見つめる位にこの人の踊りは素晴らしいのだな、と思った事を良く
覚えています。

 愛息鷹之資君がここ数年メキメキ伸びるにつけ、自身の最期がそう遠くないこ
とを感じている富十郎が少しでも多くを伝えようと必死になっているのが伝わっ
て来て切ない思いでした。その鷹之資君、父上が亡くなられた日も告別式の日も
立派に舞台を勤め上げたそうで、そんなニュースに滂沱の涙。訃報が伝えられた
日、彼にははじめて若とかチビがつかない「天王寺屋」という声がかかったのだ
とか。大向こうさんもなんて泣かせることをするのだ。

 もうあの踊りも観られない、お声も聴けないと思うと本当に悲しいです。天王
寺屋さん、ありがとうございました。素晴らしい舞台を沢山見せて頂きました。
今も目を閉じると美しいお声が聞こえてくるようです。