【追悼】中村勘三郎丈へのありがとう

今まで何人かの役者さんにお別れの言葉をこのブログで書いて来ましたが、まさ
かこんなに早くにこの人にお別れすることになろうとは、一体誰が思ったでしょ
う?

始めて歌舞伎を観たのが平成11年の11月。国立劇場でした。知人からチケット
を貰って急遽観に行ったところとても面白くてこれは是非歌舞伎座というところ
に一度行ってみたいぞということになりました。


翌月たまたま銀座に買い物に行き、そうだ、歌舞伎座へ行ってみよう!と観劇よ
りは建物を見たい、位の気持ちで歌舞伎座へ行ったところ、あら人が並んでる。
ここに並ぶと次の幕が千円以下で観られる?ええい!良い機会だ。並んじゃえ!


これが團十郎猿之助玉三郎勘九郎というちょっと今となっては考えられな
い程の超豪華メンバーによる『釣女』だったのです。


歌舞伎を見始めて早いうちに自分は成田屋音羽屋が好きだと自覚したため中村
屋をそれほど多く観ているわけではありませんが、歌舞伎ファンも十年を超えれ
ばそれなりに要所要所で中村屋には触れています。


印象深いのは納涼歌舞伎のお岩さん、コクーン歌舞伎三人吉三平成中村座
岩藤、三津五郎と二人で踊った団子売。他にも一条大蔵とか籠釣瓶とか色々観て
います。髪結新三は勘三郎襲名興行だったかしら。


そして歌舞伎座さよなら公演助六の通人。歌舞伎座とのお別れの演目であったこ
れが結局勘三郎と私のお別れともなってしまいました。通人はその時々の時事ネ
タを盛り込んで、長いお芝居の息抜き的なコミカルなシーンとなることが多いの
ですが、この時の通人は泣けました。勘三郎歌舞伎座に対する「さよなら、さ
よなら」っていう台詞が切なくて。勘三郎が亡くなった今、この時のさよなら、
がずっと脳内リフレインしています。


歌舞伎座の三階ロビーに物故俳優の写真コーナーがあり、自分が実際に観た役
者さんの写真が加わるのがとても辛かったのですが新歌舞伎座にもあのコーナー
は出来るのでしょうか。そこに勘三郎の写真があったら…冷静で居られる自信が
ありません。


それにしても早すぎました。椎名林檎の「あの方は人生を前借りした」と言う言
葉に本当にその通りだなあ、と思います。自身の襲名、海外公演、息子の襲名、
歌舞伎座、自宅の建て替え、とにかくここ十年、ハード過ぎたのではないでしょ
うか。歌舞伎役者稼業は過酷です。息子さん達も他の役者さんも、もう少しゆっ
たりペースで身体を労って歌舞いて下さればいいのになあ。月に何度か休演日が
あったっていいじゃないの、と私は思います。


勘三郎がいないなんて信じられない、受け止め切れていないのでご冥福、とはま
だ言えません。でもお礼だけは言っておきたいと思ったのでこの文章を書きまし
た。素敵な舞台と思い出をありがとう。


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